母との会話2008年09月08日 20時27分55秒

岐阜の叔母が入院しているので、母か大阪から岐阜までやってきた。

一緒に見舞いをして、岐阜駅のキレイなレストラン街で二人で食事して、米原まで鈍行で帰る。約二時間,,、久しぶりの母との会話。だいぶ耳が遠くなっているので、キャッチボールは暴投混じりだけど。。。

岐阜で生まれ育った母の昭和2~30年代の華やかな岐阜の話や、忠節橋たもとの学校に通学していた話など。今その街で自分が仕事をしていることの偶然の縁を改めて感じた。

新幹線が開業する前のほうが、比叡という特急が走っていたので大阪と岐阜は便利だったとのこと。岐阜という街は、新幹線と高速道路が牽引した高度成長期に置き去りにされていった面は否めないのだなあ。

なにより父と商売をやってきて、資金繰りのことで安心できる月末は一度もなかったという話は心に染み入った。商売とは父にとっては「儲け」であり、母にとっては「資金繰り」そのものだったらしい。

「なんとかシューッと終わることが出来てよかった。」という母。今風に言えばソフトランディングできて良かったということか。

…子が親に言うセリフではないかもしれないけど、「本当に良く頑張ったなあ。」と何度も口にした。 言葉ではなんともうまく表現できない感情がこみ上げてきた。

米原駅の新幹線ホームまで付き添って母を見送った。 小さい母を乗せて、赤色のランプで走っていく新幹線を見ながら、今夜の会話や感情は人生で忘れられない日になるんだろうな、とおぼろげながら感じた。

コメント

_ きたぐちゆきこ ― 2008年09月09日 10時48分57秒

ブログ拝見していて思わず涙が出ました。
そして、今のLONGさんのルーツを垣間見たような気がしました。

新幹線や高速道路では決してできない貴重な会話ですね。

これからもお母様を大切にしてあげてください。

_ LONG ― 2008年09月09日 23時19分03秒

子供の頃は親に対するありがたみなど感じずに生意気なことばかり言ってたものですが、、、

親には感謝です。

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