五代友厚 大阪の恩人2015年11月23日 16時30分06秒

薩摩出身で、官職を辞し幕末から明治の大阪経済の礎を作った「大阪の恩人」五代友厚。

大阪出身の人でも、この方の功績を知る人は少ない。私自身も大阪商工会議所との縁で初めて知りました(汗)

NHKの朝ドラで、今般同時期に活躍した大同生命や日本女子大学の創設に関わった広岡浅子が取り上げられ、前半のキーマン・浅子を有形無形に導く役回りで五代が登場し、注目を集めています。

イケメン経済人であった五代の足跡を訪ねて、銅像などを写真に収めてみました^^

創設に携わり、初代会頭を務めた大阪商工会議所前の像
明治維新後の混乱期、戦争等に乗じて一儲けする粗悪な商売を排して、志しある商人が大阪経済の発展、相互扶助を目的として。というところが大商の最初の志だそうです。
大企業から中小企業、小規模企業まで薄く広くカバーしなくてはいけない、現在の商工会議所とは少し趣が違うかもしれませんが、大阪の経済をより良くしていこうという想いは一つ。恩人に見守られ、しっかり仕事せんといかん。

大阪取引所、大阪証券取引所前の像。
事業を行うため、「会社」という形態を導入するのに必要な仕組みを、大阪に創立した功績。取引所の高層ビルを整備した際にこの像が建立されたそうです。
像が向いているのは北西辺り!?自身の邸宅があった日本銀行大阪支店の方向を向いています。

大阪ビジネスフロンティア高校の敷地内にある像。
天王寺商業高校と東商業高校、市岡商業高校が一つになって生まれた新しい高校。
商業教育の普及にも力を入れた五代ならではの建立です。
大阪ビジネスフロンティア高校の生徒に、校内にある像の人知ってる?と聞いてみると、ちゃんと分かっているようでした^^  大阪の恩人に見守られ経済人として育って欲しい。

大阪取引所のはす向かいにある、光世証券の敷地内にある五大像
私もその存在を知りませんでしたが大商の方に教えて頂きました。
敷地の外からも見られる様になっています。

鹿児島県、JR鹿児島中央駅前広場にある、「若き薩摩の群像」の中に、座って未来を・英国を指差す五代像があります。
鎖国時代に、国禁をおかして薩摩から英国への留学生使節団が派遣される時、既に英国との実務で国情に通じ仲介役となれた五代は、日本の近代化のためには欧米列強の強さを、短期的な視察ではなく留学することで知るべきと、派遣を強く後押ししました。

鹿児島市内官庁・金融街の泉公園に建立されている五代像
薩英戦争で捕虜の恥ずかしめを受けたり、政才より商才の功績が目立つ五代は、島津や大久保と比較すると地元薩摩での受けが良くないかもしれませんが、朝ドラのおかげもあり、人気も高まってくるのではないか、と期待します。

最後に
大阪市阿倍野斎場にある、五代友厚の墓
ひときわ大きく、中心部にそびえるお墓
出棺の列を見送る人はそれこそ大阪の大通りを埋める人だったそうで、大阪における五代の人気がわかります。

「地位か名誉か金か、いや、大切なのは目的だ」
五代の名言を胸に刻みながら、素直に目的に従って、生きていきたい。







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