2020年が終わる2020年12月31日 12時52分29秒

日本が世界からの注目を集め
華やかなイベントが開催され
家族にも色々な進歩や変化が起こるはずだった
素晴らしい年にすべきだった2020年は、
人生最悪の1年となった。

未知のウイルスが広まり世間が右往左往するなか
家族にも次々とトラブルが押し寄せ、
ただ、打ち返すか受け流すだけで1年が過ぎていった
妻との日々を懐かしむことも許してくれない
ただ、過ぎるだけの時間だった。

来年は、少しは良い兆しが見えるように
心から願う。
ただ、早く時が過ぎていってほしい。

2020年11月2020年11月30日 11時24分44秒

じりじりと耐え凌いだ11月、ほのかに明るい兆しがあるかとおもえばまた逆戻り

ハタチの誕生日2020年08月30日 23時59分14秒

長男のハタチを祝って、2人で飲みに行く。
人生の大きな願い事が達成された夜でした。夢の男子会。
40年近く親子三代に渡って贔屓にさせてもらっている、文の里商店街の鮨屋さんで、その時を過ごせることが幸せです。

この店に初めて親父に連れてきてもらったのは40年くらい前の今宮戎詣での帰り道だったと記憶している。奮発した晴れの日の外食。以来家族の、自分の大切な日や大切な人と、人生と共にあった店。

息子が生まれた20年前は東京で単身赴任をしていた。家に帰り留守番電話の点滅で、息子が生まれたことを知った。

人生、いい話ばかりではなくここ数年つらいことの方が多かったけど、今日はただ、嬉しく、晴れやかな日。傍で見守っていてくれていると思う。

息子にも、生涯忘れないコトに刻まれて欲しい(^^) ちょっと飲ませ過ぎたかな、谷町線沿線。

小鮎の天ぷら2020年08月14日 12時41分46秒

お盆を迎える日、娘がお酒を飲みたいとのことで^^
近所の居酒屋たつ庵さん、

家ではなかなか料理しにくい、小鮎の天ぷらを
食べながら、色々な話をした。

社会人になって4ヶ月、どんな心もちで働いているのか
あまり聞く機会もなかったので、たくさん話を聞けて良かった。
よく頑張っているなあ、偉いなあと。

2020年7月2020年07月31日 20時21分53秒

家族のだれもがもがき苦しみ、先の見えない不安と向き合う7月があっという間に過ぎ去った。

2020年6月2020年06月30日 18時25分12秒

6か月が経過し、ただただ慌ただしく心をなくす6月だった。

2020年5月2020年05月31日 22時02分57秒

ただひたすら厳しく、苦しい1か月だった。
2020年5月

あれから10年2020年03月21日 08時34分53秒


10年前の自らのブログを読み返して、このころはいったいどんな様子だったのだろうと振り返ると、岐阜での勤務を充実して終えて、再び大阪に向かうところだった。

長女が小学校を卒業するタイミングでもある。

その10年後、その長女は立派に社会人になることが決まっているけど、家族が2人減り、未曽有のウイルスによる経済危機で日本中の中小企業が苦しんでいる。 いろいろなことが起こるものだ。。。

あの時岐阜の方々に有難がってもらった自分の支援姿勢は、今も同じように感謝してくれる方が身近にいる。これはブレずにやれていることなので、良かったかな。

そんなこんなの今週、息子と大阪市内のご夫婦が仲良く経営するお店2件をはしごできたのは良い思い出になるだろう。
食べ物を囲む家族の思い出、ずっと忘れずに生きていきたい。

寿司季節料理 宴(UTAGE)

森小路駅

ます枝

森小路駅

冨田酒造に久しぶりに訪問2020年01月31日 23時32分14秒

ただひたすら、起きることに対応する1月。
先月来、人生で最大級の悩みが次々と押し寄せ
大変だった。けど
久しぶりに次男とドライブに出かけ、
木之本の冨田酒造さんにいけたのは良かった。
雪のない1月の酒蔵、
色々お話して、ここでしか買えないお酒を買いました。

妻のお葬式2019年12月15日 15時29分29秒

妻が病気で12月12日急逝し、告別式と初七日法要を終えて、久しぶりに家に帰ってきてくれました。小さい壺に入って。

故人の意思で、お友達にも誰にも言わずの闘病だったので、妻の友人の方には突然びっくりさせてごめんなさい。お詫びをいたします。

大学時代からの付き合いで、結婚してから23年。まだ47歳という若さで、自分の母親と3人の子供を残して旅立つなんて早過ぎる。これから母を看取り、子供達の成長と巣立ちを見守るはずだったのに。ただただ悲しく悔しい。
気丈に、病床で「まだ終わりじゃない。」と最後まで言って頑張っていましたが力尽きました。

残された家族は、「天国で見守っていて」とか「やり切った人生だった」とかとても言えない。今はただ「無念」の一言です。

最後の5日間、今までのことやこれからのことをただひたすら途切れ途切れに話をして、とりあえずもう話すこともないというネタ切れになったけどw、このさき生きていればいくらでも話題は追加されるはずだったのに。

でも、教え子の子供たちや、先生方、幼少から学生時代の友達がたくさん来ていただいて、涙は一杯でしたがちゃんとお別れが出来るお葬式になって良かった。
どうか先生のことを、忘れずにいて欲しい。

私の仕事の件では、多方面の方に調整などご迷惑をおかけしておりまして誠に申し訳ありません。今しばしお時間をください。
弱っていく妻でしたが、「はよ仕事しておいでや!」といつも言われていましたので笑

なるべく早く復帰して、仕事を頑張ります。どうかご支援ください。

今回、妻の交友関係でどうしても連絡が行き届かず、後で知られる方がいると思います。自宅に祭壇をつくりましたので、会いに来てあげてもらえたら嬉しいです。たいしたお迎えは出来ませんが。

有難うございました 合掌