緊急事態宣言2020年04月30日 12時30分08秒

ついに全国に緊急事態宣言が発令された4月
コロナウイルスが日本の経済にも壊滅的な影響を与えている。

日中の大阪の繁華街も人影がまばらな状況になった。
世界の在り方から根本から覆されるような事態は、急には収まりそうにもない。自分が出来ることを、きちんとお客さんに届けることしか出来ない。

国難を乗り越えるために、精一杯。

あれから10年2020年03月21日 08時34分53秒


10年前の自らのブログを読み返して、このころはいったいどんな様子だったのだろうと振り返ると、岐阜での勤務を充実して終えて、再び大阪に向かうところだった。

長女が小学校を卒業するタイミングでもある。

その10年後、その長女は立派に社会人になることが決まっているけど、家族が2人減り、未曽有のウイルスによる経済危機で日本中の中小企業が苦しんでいる。 いろいろなことが起こるものだ。。。

あの時岐阜の方々に有難がってもらった自分の支援姿勢は、今も同じように感謝してくれる方が身近にいる。これはブレずにやれていることなので、良かったかな。

そんなこんなの今週、息子と大阪市内のご夫婦が仲良く経営するお店2件をはしごできたのは良い思い出になるだろう。
食べ物を囲む家族の思い出、ずっと忘れずに生きていきたい。

寿司季節料理 宴(UTAGE)

森小路駅

ます枝

森小路駅

20190928 Jリーグ大阪ダービー2019年09月29日 14時20分27秒

Jリーグ 大阪ダービー
セレッソ大阪VSガンバ大阪を観戦

息子二人を従えて、男3人の楽しみ。
息子達は、我慢してついてきているのかも知れないが、、
何かしらの熱狂に触れてみるのは良いことだと思う。

毎回通りのバチバチの肉弾戦になるのかと思いきや、
セレッソのスカウティング、ポジショニング、マネジメントが
極めて整理されていて、チームとしての完成度に差があるのが
スタンドから見て取れた。守備力に差がある内容だった。

1点目、マティヨニッチからのロングフィードを奥埜がキープして、
水沼に渡して中に切れ込んで、パスを受けたブルーノメンデスが
キープして、左の柿谷にパス、前を向いた柿谷が
左前の空いたスペースに丸橋が走り込み、中央に折り返し
メンデスがズドンとヘディングでゴールに突き刺す。
早い時間の完璧な先制点でした。
中盤で寄せ切れておらず、ゴール前もボールウオッチャーに
なっているガンバの守備陣を見事に切り裂いた。

2点目、自陣の深いところのフリーキックで、ソウザの強烈な
右足は相手にとって脅威。早くて落ちるボールを、またしても
全員ボールウオッチャーと化したラインの手前の隙を狙った
ところから長身のマティヨニッチがズドンと、ぶち込んだ。

3点目、絶対に追加点が欲しい、早くトドメを刺したい展開で、
自陣のボールキープから、丸橋が絶妙な縦へのボールを入れて、
抜け出せたか微妙な五分五分のマッチアップでブルーノメンデスが
ギリギリ切り返して、回収した柿谷が鋭い独特のドリブルで
左に切り込んで、まさに天使のような柔らかいクロスをゴール前に。
奥埜が一人背負って潰れてできた逆サイドに届いたボールに、
水沼が忍者のように切れ込んで、ジャンピングボレーでトドメを刺した。

守備では、鉄壁のセンターバック2人が相手の攻撃を跳ね返し、両サイドバックは、前に出るリスクマネジメントが適切。
ボランチの2人との守備力の高さに、ガンバの攻撃陣は、
キープしながらも単発のロングシュートを打たされたりと、
これといった好機を演出できず、最後の意地で1点入れられた。

今まで、7年半負けや引き分けばかり見てきて、
この試合はあっけなく圧勝というのが不思議だ。
ロティーナ監督の戦術が浸透していて、チームにフィットしつつある、
ということだろうか。

都倉、清武、デサバトと主力級に怪我人が相次いでいる中で、
誰が出てもいい試合が出来るという総合力。今のセレッソは強いと確信する。

来週は、首位の鹿島アントラーズ戦、残り7試合で勝ち点差6。
勝てば残り6試合で勝ち点差3ということになる。
その他の上位の東京、横浜の今後の結果にもよるが、
ACLどころか、リーグ優勝の可能性を十分に残して
リーグ終盤戦を迎えることが出来る。

ワクワクするセレッソの戦いから、目が離せない。

大阪城から虹を眺める2019年07月28日 16時29分01秒

先週末、夕方大阪城のミライザに行きました。

通り雨を降らせる雨雲と、夕日が相対して、
物凄い虹がかかりました。
まさに大阪の端から端までの、虹の架け橋でした。
すごいものを見た。

G20の晩餐会の会場になった大阪城。
万博に向けて何か希望を感じる虹でした。

G20大阪サミット2019年06月29日 17時46分23秒

日本で初めて開催されたG20大阪サミット。

警備や交通規制など物々しいこととなりましたが、

大きな混乱もなく無事終わったようです。

阪神高速に完全に車がいない光景は壮観だった。


OSAKAの魅力を世界に発信することが出来たようで
良かった。

平成から令和へ2019年04月30日 10時58分02秒

平成31年4月30日

今日で平成が終わり、明日から新元号令和になります。

前回の改元は高校二年生の冬でした。
昭和天皇崩御の後だったので、自粛ムードの中、色々な混乱をへて、新しい元号平成がスタートした思い出がある。

平成2年4月に、大阪を巣立ち彦根の大学生として一人暮らしを始め、たくさんの友人と出会い、いい就職先を見つけることができ社会人となり、

京都、東京、滋賀、大阪、岐阜、と色々な場所をめぐり、

一緒に住む家族の数も増減を繰り返し(笑)

自身の退職や独立、家族の病気、色々なことがあり、
令和の時代がやってくる。

平成は、戦争のない時代でよかったと天皇陛下がお言葉されていた。世界も日本も色々凶悪な事件はあったけど、国ごと戦争に向かうような厳しい時代ではなかったことが何よりもの救い。

我が家の平成ニュースベスト3は何だろうと、嫁さんと話をした。
やはり、結婚しなかったら全てはなかったので、結婚して家族ができたことが最大のニュースだろう。全てそこから始まった。あとは、家、旅行くらいか。

令和は、日本にとっても世界にとっても、家族にとっても、仕事にとっても、平和な時代であって欲しい。慎ましやかに心豊かに過ごせたらいい。

さよなら平成、ようこそ令和。ひとつよしなに。

新生活に向けて2019年03月31日 21時00分24秒

新年度から、長男が大学で大阪に行くことになり、新たなる門出への準備。

彦根から大阪への一人暮らしは、30年前の大阪から彦根への一人暮らしをした父との、30年ぶりの交換トレード(笑)
偶然とはいえ、何か感慨深いものがあります。

築50年の、親戚の空き家をなんとか住める状態にするために3月の週末はかかりきりでした。

大阪の多様性、面白いもの、新しいもの、古いもの、たくさん学んで欲しい。我が息子。

2019Jリーグ開幕2019年02月22日 21時40分59秒

待ちに待ったサッカーの開幕

今年のセレッソは主力選手の移籍による流出があり
ストーブリーグの話題の主役級の存在。
新しい即戦力の選手獲得もあり、昨年の悔しさを晴らしてくれるでしょう。

金曜日に先行して試合が始まるナイトゲーム。

ソマリアとモーリタニアとカザフスタンの知人を招いて
白熱のゲームを観戦しました。

世界的スーパースターが三人そろい踏みしたヴィッセル神戸に
1−0で見事勝利!幸先良い!

ミライザオオサカ2018年11月30日 23時08分50秒

大阪城天守閣の横にそびえる立派な建物

戦時中は軍の施設として、戦後は美術館として使われていた
建物をリノベーションして、ミライザオオサカという観光施設が
出来ています。

なかなか自分で行くこともない立派な場所ですが、
診断協会の交流会で行くことができました。

立派な回廊、重厚感のある設備、
館内はインバウンドも意識した表示がなされ、
大阪のおもてなしが出来る施設として整備されています。

今月、2025年の大阪万博も決定し、
大阪の未来が少し動きました。
微力ながら、大阪を盛り上げていくお手伝いを
していきたい。

父との別れ2018年04月10日 01時41分12秒

父を看取りました。
なんとか通夜が終わり明日が告別式です。

お仕事関係の皆様、色々と配慮をいただいており本当に有難うございます。ご迷惑おかけしております。なるはやで復帰いたします。

この4年間、どんどん衰えていく父を支えてくれた、介護や医療に従事する方々には、本当に感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。そして見送る葬祭業の方も凄い。サービス業の真髄を見る思いです。

母も十分やりきったと。息子としても精一杯そばにいて、十分色々な話を聞けたので、納得して見送れる、のかなあ。

8年ほど前、たまたま、親父と二人になる機会があり
父と酌み交わした時、今までの仕事遍歴をインタビューしたことがありました。
http://long.asablo.jp/blog/2010/01/07/4800984
戦後の復興から、高度成長期、バブルの崩壊、何度も経験した起業や廃業。
生きていくために、汗と泥まみれでたくさん働いて、色々な仕事をして、小規模企業を経営した父のことを、深く知って、バトンをもらった気持ちになりました。

安心して旅立って欲しい、息子の中に親父は生き続けます。
父のように、小さくても商売して幸せな家庭を築ける社長を、一人でも多く支援しよう。

父から、屋号と法人は受け継いで。形は変わりますが、小規模企業のためになれるよう、頑張ります。

写真は、50年以上前、千里山で電器商をしていた頃のものらしい。意欲が渦巻いて活気のあった昭和の日本を父は駆け抜けました。

RIP My Father