七本槍 80%精白米 純米酒 ― 2007年11月03日 13時00分10秒
今日はひこねお城祭り ― 2007年11月03日 13時14分06秒
散髪の帰り、街なかを自転車で走っていると、午後からのパレードに備えて集合してい赤備えのおやじがうろうろしていた(笑)
とても良い天気で今日のひこねには観光客もたくさん来てくれるだろう。
四番町スクエアもクラフトの露店や、四番町ダイニングのひこにゃん文化祭など午前中だというのに凄い人手
3市観光と物産展 ― 2007年11月04日 19時03分45秒
さようなら?ひこにゃん ― 2007年11月06日 23時43分50秒
ヤフーのトップページニュースにも出てしまった、ひこにゃんお別れの記事
400年祭りが終了する11月25日以降の、ひこにゃんのキャラクター使用承諾の扱いを彦根市がまだ何も決めておらず、当面全てのキャラクターグッズの販売が停止になるとのことらしい。
いかにも「ゆるい」仕事振りで、せっかくのひこにゃんによる彦根の知名度アップに水を差されることになってしまいそうだ。残念でならない。。。
法曹人としては、思うところは多々あるかもしれないけど、ここは是非市長の英断を期待したいところです。ピンチをチャンスに変えて、井伊家以来の彦根に名を残す市長になって欲しい。 くれぐれも「これまでただ乗りで良い思いをしたのだから、これからはそれ相応に払ってもらうのが筋だ。」なんていわないで欲しい。。。言いかねないので怖いなあ。 言えば言ったでもの凄い注目を集めるだろうけど。
岐阜の夜景 ― 2007年11月08日 20時05分49秒
ちょうど日が落ちた岐阜の夜景が眼下に広がる
左の明るいのが忠節橋通り、アーケドがないので街灯が光の帯を作っている。右の金華橋通りに高島屋があるが、このあたり柳ヶ瀬は全部アーケードなので上から見る夜景は暗い…
再開発の進む岐阜駅前、遊歩道のイルミネーションがぼちぼち整備されている。
岐阜駅から一宮方向、名古屋方向に向ってはずっと光が途切れない。
確かに高いので眺めはいいけど、駅前は結構寂れているし、アーケードの多い街なので夜景はいまいち…かな
今日は結婚記念日 ― 2007年11月09日 10時29分34秒
気の利いこの店は、ファレットさん
以前、伊藤さんと上宮先生の出版記念講演会 でお会いした、 イケメンの社長さんが経営しておられる会社で、見栄えが良く、買い物しやすいホームページと、メールでのきびきびとした顧客対応など、+αのサービスが行き届いている。
感心したのは発送前のブーケがデジカメで撮影され、送り主に事前にメールでこの商品を送ったと知らせるサービス。
今回は自宅への発送だったのでなくても良いけど、離れた人に贈り物をするときは非常にありがたい、安心できるサービスだろうと思う。扱う商品がお花だからこそ生きてくるサービスだ。
仕組みはITで整備すれば出来るだろうけど、贈り物を取り巻くお客さんの機微を捉えた対応に中小企業の創意工夫、底力を感じたのでした。
地域資源の活用 ― 2007年11月10日 09時40分09秒
長良川の鵜飼をやっているあたりの岸辺、ちょうど岐阜城の城下には水運を利用した、材木や美濃和紙の問屋が立ち並ぶ一角がある。
その昔相当儲けていた様子がうかがえる立派な長屋や蔵が散在している。
和紙を保存する蔵は湿気対策でつくりが非常に重厚なのだそうだ。また川に近いということもあり、どの長屋も石垣の土台を築いているので見ごたえがある。
長屋と紙の蔵を利用した雑貨・飲食の店舗が孤軍奮闘している。 街として、観光客を取り込もうという動きがなかったので、また通り沿いの店は「点」に過ぎない。
点が線となって、面にまで発展していく長浜のような展開になれば素晴らしい。
今後の街の盛り上がりに期待しています。
携帯型ハードディスク ― 2007年11月11日 20時53分36秒
お母さんが仕事の資料としてデジカメの写真を大量にストックして持ち運ぶとのことで、携帯型のHDを購入した。パソコン関連の製品を購入するのは結構久しぶりで、いつものことながら日進月歩の技術革新に感心した。
まどろっこしいDVD-RAMと違って写真のサムネイルも一瞬にして表示される、それでいて、80GBの大容量でUSBメモリー2本分くらいのお値段なのだから、多少の大きさを気にしなければもの凄くコストパフォーマンスの高い媒体だ。
非常用の起動ディスクに設定できるなど、いろいろ便利な機能はあるようだ。
悲しいかな、お父さんの会社にはこの手の記憶媒体は一切持ち込みはできないので、この便利さは指をくわえてみているだけ…
おばあちゃんの温もり ― 2007年11月13日 17時26分51秒
ばあちゃんも一緒に多賀大社に出かけ、参道の糸きり餅を購入
仲良くおばあちゃんと手を繋ぐ娘を見て、うらやましい。 遅生まれだった私が物心ついたときには、既に4人の爺さん婆さんはこの世にはいなかった。
父母とはまた違う種類の愛情に触れられることはとても良いことだとしみじみ思うのでした。
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