志賀高原で迎えた新年2011年01月03日 14時38分34秒


12月31日から1月2日まで、志賀高原高天ヶ原に家族スキー旅行
結婚してから、実家以外で新年を迎えるのは次男が生まれる直前だった7年前以来だ。

実家に対しては若干後ろめたい気持ちもありながら、家族でゆっくり旅行が出来るのも
子供たちが小さい今のうちだけだろうということで、やってきた。

(大晦日実家に電話すると、「ゆっくり紅白を見られるのはありがたい。」とのこと
毎年子供がダウンタウンやドラえもん見たさにTVをザッピングするので
静かに過ごせて逆に良かったかもしれない。)

志賀高原は学生時代や社会人1~2年目に何度も行ったスキー場
大小沢山のスキー場が連なる、ボリュームも雪質も本州最高の場所だと思う。

子供づれでどこまで楽しめるかはわからないけど、どうせ信州に行くのなら
スキーの聖地を体験させてあげよう。

12月31日7時前に彦根を出発
年越し寒波がやってくるということで、行きの名神高速、関ヶ原は雪雲に覆われていた。
岐阜方面は晴れているので雪雲の向うの日の出が幻想的だった。
この日、滋賀~京都は降雪のため通行止めも発生したとのこと
大阪に帰省していたら大変な目にあっていただろう。。。

中央道、長野道、上信越道を乗り継いで信州中野IC、
そこから山道を登って志賀高原まで、渋滞にもかからず
5時間弱で到着、オリンピックのおかげで関西から長野東北部への
アクセスは飛躍的に向上している。

到着した初日は、予報通り雪が降り続き、高天ヶ原のゲレンデを
数本滑る程度、あまりの寒さに子供たちも嫁さんもテンションは低い。
早めに切り上げて、部屋でゲームをしたりテレビを見たり
のんびりと2010年が暮れていった。
大人になってもこうやって迎えた新年があったことを、子供たちには
覚えていてほしいとしみじみ思った。


2日目の午前中は、冬型の気圧配置にも関わらず雪も止んで、少し晴れ間も見えた。
西舘山を背中に見ながら高天ヶ原のリフトで山を上がる。
Y先輩にいただいたウエアを身にまとった次男^^
一面の白銀の世界を喜んでくれたようで良かった。

そのまま北側に滑り込んで、タンネの森オコジョスキー場に移動
緩い斜面に白樺の木が散在するロマンチックなスキー場で、ぜひ家族で滑ってみたかった。
雪質もサラサラで申し分なかった。
向かい側の山には一ノ瀬ダイヤモンド、山の神スキー場も見える。
一ノ瀬ファミリースキー場から裏側の山を降り、さらに上った寺子屋スキー場のトップ
寺子屋山の山頂が志賀高原で二番目に標高が高い2060m
運よく晴れてくれた。遠く焼額山スキー場も見える。

この後、昼から天候は崩れ、焼額山のゴンドラまで足を伸ばしたが、雪が降り続き
家族は疲労困憊…
スキーを履いたままいくつものスキー場を移動できるのが志賀高原の強みだけど
微妙なのぼりが各所にあり、腕力・脚力の弱い子供にはやや厳しい印象だ。

二日目は東舘山から発哺温泉~ブナ平~西舘山を巡り高天ヶ原まで戻った。
お昼前の30分ほどだけ晴れたので、東舘山の美しい林間コースを楽しむことが出来た。


ふかふかの雪なので、こけても転がり回って楽しんでいた^^

2.5日の滞在中、殆ど雪が降り続き氷点下の厳しい気候だったので
十分には楽しめなかったけど、子供たちにとっては良い思い出になっただろう。
復路も、スチールチェーンの外し時を早まったため一度だけスリップで
肝を冷やした^^;以外は、アクシデントもなく帰り着き、年越し家族旅行は無事終了

十数年ぶりの志賀だったけど、ハード・ソフトとも昔とあまり変わりがない印象だった。
スキー人口が減っていく中で、設備面の改良や更新はなかなか難しいことだろう。
せめて、ソフト面でCSを重視した接遇などがエリア全体で徹底できればよいのだろうが
季節従業員で臨時雇用の人を一定レベルにトレーニングするのは難し面はある。
外国人の集客といっても空港からのアクセスが厳しい。欧米の人アジアの人とも他の日本の観光地ほどは見受けなかった。
志賀高原が日本のスキーの聖地のポジションを守り続けるには、より一層の経営努力が必要だと感じる。


英気を養ったので、4日から仕事モードに切り替えて仕事に励もう。