事業家として残したもの2008年05月22日 18時28分28秒

薬学の研究者として、凄い成果を残され、相当な地位を築かれる程の方が、広く消費者の口に入るモノを提供したいとの思いで、事業家として活動しておられる。

「商売人としてビルの一棟も建てていないので、事業家として私はダメだよ。」と謙遜しておられた。

とはいえ自らの歩んだ道のりに少しも後悔していないところに、潔さを感じ、自己実現しておられるのだなあと思った。

今から15年位前、内定者の懇談会でうちの会社の凄く偉い人が言っていた訓話で、いつも思い出すものがある。 「自分の人生の値打ちは自分でしか評価できない。」と。

まわりからどう思われようが、自分が納得できる人生を送らなければ意味がない。という意味で受け取った私は、ホントそうだなあと思って行動するようにしている。

私の親父は職人として一生懸命働いて、体も悪くして廃業したけど、結果として自分の住む家を一軒残して、子供を大学までやって就職させ、孫もいる。という成果に、多分十分満足しているのではないかと思う。父として事業者として生業者として、心底尊敬している。

自分が納得できる人生でなければ意味がない。ということを思い出させてくれた白衣の社長さんのお話が深く心に響いた。

…後日談、かの偉いさんは東大卒で、なんで東大を出たのにうちの会社にいるんだという、友人からの蔑視と、東大卒による社内からの羨望の眼差しに挟まれ生きてコンプレックスのある人だったらしい。私が感じた意味とはかなり違う、自虐的な意味を込めた言葉だったらしい。

百者百様の社長さんの生き様に共感して応援したい私の心づもりと、組織として持っている風土との違いに(10年以上前から気付いてはいたものの)いよいよ感じることが多くなってきた今日この頃、自分を見失わないように行動しなくてはと、思う。

とにかく、自分を懸けられる人生を送らなくては、意味がない。

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