寝物語の里2010年09月11日 14時46分42秒

会社の部長さんが、偶然にも滋賀県出身だということを知り、県内の色々な史跡や名所の話題で盛り上がった。

かれこれ、滋賀県とも20年近い付き合いになるので、大体のところは知っているつもりだったけど
全く名前すら知らない史跡を教えていただいた。

「寝物語の里」

中山道沿いの集落で、ちょうど美濃(岐阜)と近江(滋賀)の県境がその場所

江戸時代の国境の多くは川や山、峠であることが多い
(当然、地理的政治的な緊張も伴う場所であり、関所もあったことだろから当然か。)

この、寝物語と呼ばれる地域は、街道沿いに普通に家が立ち並び、家と家の間の小川が
国を隔てる境界線ということだ。
隣り合う旅籠の壁を隔てて、今風にいえばピロートークで違う国の旅人と夜な夜な話をしたという
なにやら、風情があるお話

江戸時代は国が違えばお金も文化も言葉も違う。
並ぶ集落で、お金や言葉が変わるなんて、地理学的に見ても面白い

ということで、今朝のマラソンは実際にそこを見てみようということで、
南彦根から柏原まで、電車で移動


県境の駅、柏原は伊吹山も近く、風情がある。
ローカル駅そのものだ。



街道をゆっくり走りだす。道端のケヤキ、大ぶりのベンガラ塗りの旧家は中山道や湖北特有の風景だ。

米原市(旧山東町)長久寺の集落に到着、名神とR21とJR東海道線がひしめく、交通の要衝
とはいえ、ギリギリ山越えをしなくていい程度の標高であるのが、この地域の特徴を生んだようだ。

まさにこれが、県境、川というよりは溝だ。
この溝を隔てて、旅籠などが建っていたのだろう。
左足が岐阜県不破郡関ケ原町今須、右足が滋賀県米原市長久寺、、国をまたぐ男(笑)
まあ、ここに来た人ならみんな同じようなことをやるに違いない。。。

野さらし紀行で、芭蕉も通った場所、岐阜県側には
芭蕉の句碑も整備されていた。

春まで、毎日近江から美濃まで通勤していて、この場所近くのJRに揺られていたが
こんな風情のある興味深い史跡があるとはしらなかった。教えてくれた部長さんに感謝だ。

確かに、行政区が分かれるので、アスファルトの舗装や、道端の側溝のふたの種類がちがったり
現代でも県境を感じさせるものだったけど、
一番わかりやすかったのはほぼ隣り合う民家の、ガレージにある車
きっちり滋賀ナンバー、岐阜ナンバーに分かれていた。

柏原駅から寝物語の里まで、往復4Kmほど、
歴史と地理の興味をそそられる早朝のランニングでした。

来年の大河ドラマでは、5年ぶりに滋賀県の湖北が舞台となる。
乱発するゆるキャラが行き交う商店街も賑わいとしてはいいけど、
大人の知的好奇心をくすぐるようなうんちくも絡めながら、一見さびれた史跡に
人を呼び込むことができると、息の長い観光集客ができるのではないか、
寝物語の里も、立派な観光資源になるのかなと感じた。


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